精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

巡る人権侵害

こんにちは。ナナコです。

大分時間が経ってしまいましたが、杉田議員の「LGBTは生産性がない」という発言?と、その発言について文句を言う人たちについて思うことを書いてみようと思います。
東京新聞:LGBTに「生産性ない」 自民、杉田議員を指導:政治(TOKYO Web)

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ことばが世界

 

 

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境界線との闘い-レオナルド・ダ・ヴィンチ『洗礼者聖ヨハネ』-

こんにちは。ナナコです。

こちらのツイートを見て、

 
この絵を初めて見たとき、強烈なインパクトがあったなぁと懐かしく思い、つらつらと書きました。この退廃感……!

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気分の価値

親戚複数名の介護をし、事業も手がけ、遊びにもしょっちゅう出かけ…という方と、ちらっと話した。こちらまで元気になるような、すごく明るい人。
「なんでも気の持ちようよ~♪」
と、その人は明るく言う。周りの人は、
「なかなかそんなこと、出来るものではない」
と、彼女を褒める。

対して、私の親戚。介護者は1人だけだが、年数回、会いに行くと、泣きながら愚痴る。
「年をとってから、こんな辛い目に遭うとは思わなかった」

なんでも気の持ちよう……確かに。同じ出来事でも、苦になる人とならない人がいるのだから。

気の持ちようで、困難を明るく乗り越える。それはでも、褒められるべきことなのだろうか?私の親戚の気の持ちようは、変えた方がいいものなのだろうか?
辛いことがあるのは、当たり前だし、辛いことがあったときに辛い気分になることもまた、当たり前ではないか?

 

※念のため書いておくと、前者の方の態度は、対外的なポーズであるかもしれないとか、苦しむ時期もあったのかもしれないとか、様々なことを考慮した上での記事です。
気分に価値の高低はあるのだろうか??という疑問なのでした。