精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

非難することされること

こんにちは。ナナコです。

今回は非難したりされたりすることについてつらつらと書いてみようと思います。

 

非難する方もされる方も、大抵はいい気分じゃないですよね(´・ω・`)

ネット上の記事に関して言えば、非難する側としては
「非難されるの覚悟の上でネット上で書いてるんでしょ?嫌なら書かなければいい」
という考えもあって非難しているのかなぁと思います。
その非難に対しては
「ブログや記事は私の管轄なんだから荒らすな。自分のところで書け」
「嫌なら見なければいい」
等と返すことも多いようです。

民主主義的には「非難すること」はそこまで悪いことではないのかな、と思います。自由な意見のやりとりは良いこととされていますし、「非難があったからこそ、それをバネに私はここまで成功することができました。今ではあの非難に感謝してます。」ということもありそうです。

ただ、「非難されるの覚悟の上で~」「~だからこそ、それをバネに」という言い方をする時点ですでに「非難すること」はあまり良いことではないという感覚があることが感じられます。

とすると、もしかしたら、意図的に非難している人は少ないのかもしれません。「ただ思ったことを言っただけなのに…」ということが結構あるのかもしれません。「バカ」などの一見攻撃的でしかない言葉ですら、本人としては自由な意見のやりとりとして「<バカ>と思ったから言っただけ」なのかもしれません。(そういうことを言っていいか悪いかは別として。)

もし「<非難すること>は悪いこと」とすると非難されても非難し返すのは良くない、ということになります。人に悪いことをされたからといって、自分も悪いことをする理由にはなりません。「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」を地で行くことになりますね。

一応補足として…
「非難すること」「良い」「悪い」等の分類や解釈は根本的にはないです。でも人間は物事を分類・解釈して、言葉で表現するように出来ています。その分類・解釈自体に関心があるだけで、絶対的なこととして「非難すること」は良いとか悪いとか書いているのではないのであしからず。。