精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

人間らしさをとるか動物らしさをとるか

こんにちは。ナナコです。

今回は「いじめ」について書いてみようと思います。

※誤解を招かないように念のため書いておくと、「人間らしさは素晴らしい」「動物らしさは良くない」等の価値観は一切入ってない話です。

 

「いじめ」について、いじめられる人の状況はよくとりあげられますけど、いじめる側がなんでいじめたのか、というのはなかなか表に出てこない気がします。
いじめた本人もはっきりした理由はよく分からないのかもしれません。

野生動物の間でも「いじめ」はよくあるようです。多分、本能として組み込まれた行為なのでしょう。人間に近いとされるチンパンジーの攻撃性も、かなり高いそうです。

人間を群れで暮らす動物の一種として考えれば、「いじめ」は本能的な行為であり、食事や睡眠となんら変わらない行為と言えます。
よく
「昔の<いじめ>はこんなに陰湿ではなかった。暴力だったり、ケンカに近いものだった。」
と言います。
分かりやすい「いじめ」をするということは「いじめ」に対して罪悪感が少なかったか、全くなかった、ということです。変な言い方ですが、より野生動物的だった、と言えるでしょう。

でもなぜか最近では「<いじめ>は良くない」とする人がすごく多いです。
「いじめ」をする人ですら、複数人で、陰湿なやり方をする。「いじめ」に対して無意識に強い罪悪感を感じているから、自分がしていることが周囲にバレないように、こういうやり方になるわけです。

動物的に見たらなんの問題もない行為に対しての葛藤が強くなってきた。
かえってそれが、いじめられる側にとっては辛いものになっているので、とても語弊がある言い方なのですが、文字通りの意味での「人間性」が強くなってきた、人全体の倫理観が高くなってきていると言えます。

「いじめ」に対しての罪悪感が強まってきたということは、このままいけば「いじめ」は減少していくのでしょう。本能に関することなので時間はかかるでしょうが、いずれ犯罪とされる日がくるかもしれません。