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精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

変幻するもの

こんにちは。ナナコです。

人生はトリックアート」の記事、知覚は嘘で良くない的にもとれてしまう気がしたので、追記を書こうと思います。

 

物が見える。
匂いを感じる。
音が聞こえる。
私たちは知覚を頼りにして生きています。
もし車が来ているのに無視して道に飛び出したら、ひかれて大けがしたり、死んだりしてしまいます。紛れもない現実です。

でも例えば、目も見えず、耳も聞こえず、触覚もなく…といわゆる五感が全てなくなってしまったら、私たちはどうやってこの現実を把握するのでしょうか。
頭の中でぐるぐるする考えは残るかもしれません。でも死んで考えることが止まったときには「死んだ」と認識する主体も消えてしまうので、それをもって生きているか死んでいるかを把握することもできません。自分の人生から「死」が消えてしまう、と言えるでしょう。そもそも「車」「ひかれる」とかの概念も知覚から来ているので、知覚が生まれつき全くなかったとしたら、考えも起こらず、生も死もない、と言えるかもしれません。
私たちのこの現実は全て自分の知覚が作り出しているもの、と言えるでしょう。

でも、現実は自分の知覚が作ってると言ったって、車にひかれそうになって目を閉じたって車は消えずにひかれるだけだし、太陽を見ながら「これは月だ」と心から思おうとしても、月に見えないし、やっぱり現実は自分とは別なものとして存在しているとしか思えません。

ですが、
物が見える。
匂いを感じる。
音が聞こえる。
これだって、自分で意識して行っていることではありません。勝手に起こっていることで、意図的に機能を止めることはできません。自分自身が外の現実と同じように、自分の思うがままにはなっていない。自分自身も、自分とは別なもの、ということになります。

私たちは知覚以外を知覚して生きるなんてことできませんが、その知覚もよく考えると自分のものであって自分のものでないような、そういう不思議なものなのです~