精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

「みんな違って みんないい」の嘘

こんにちは。ナナコです。

「みんな違って みんないい」
有名な言葉で、多くの人が名言だと感じる言葉だと思いますが、これはありえない、ということを書いてみようと思います。

 

善悪、美醜等々の評価や価値判断を表す言葉。
これらは言うまでもなく、自分の感じた評価や価値判断を表す言葉です。もちろん「自分がこう感じた」ということは、まぎれもない事実で、その事実を誰も否定はできません。
でも例えば、「これは好き」と感じるということは、「これ以外はそうでもない」と、とある価値観の否定もまた同時に感じていることになります。何かを肯定した時、必ず何かを否定しているんです。

なので、「それもいいね!」と全て肯定することを目指すと、どこかで必ず限界が来ます。できることは「それもある」と、純粋にその存在を認めるまででしょう。だから、「みんな違って みんないい」はありえない。言えるとしたら「みんな違う」。ここまでなのです。笑

「『みんな違う』なんて当たり前でしょ」
ほとんどの人は、そう思うと思いますが、では、あなたが突然道で知らない人に襲われたとして、あなたは「みんな違うんだから、そういうことする人がいるのも当たり前なこと」と冷静に対処できますか?

分かっている気がしているだけで、どこかで自分とみんなは同じだと思っている。違う部分が見つかると、場合によっては悪意や敵意を感じたり。非常識な人をみてイライラするのは分かりやすい例ですね。

「みんな違う」
本当の本当には分かりえない感覚で、多くの人が分かりたくもないことである、といえるでしょう。