精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

何のために生きるのか

こんにちは。ナナコです。

世の中には様々なマナーがあります。
「人に迷惑をかけてはいけない」
「相手が嫌がることをしてはいけない」
当たり前のマナーです。誰でも嫌ですよね??迷惑かけられたり、嫌な思いをさせられたら。マナーを守らない人、困りますよね~

 

ですが、迷惑行為を行ったにも関わらず、いい人認定された人がいます。「泣いた赤鬼」の青鬼です。(人ではなく、物語のキャラクターですが…^-^;)
泣いた赤鬼 - Wikipedia

赤鬼のために、青鬼は、村で子供たちを襲う、というひどいことをしました。事情を知らない村人にとって、青鬼は悪そのものでしょう。でも、物語としてみると、青鬼が行った迷惑行為は、かえって彼の赤鬼への友愛を強調することとなり、結果、心に沁みる物語となっています。
ウィキペディアによると、

1989年、青鬼は香川県の「観光客を温かく迎える親切運動」のマスコットキャラクター「親切な青鬼くん」として採用された

そうで、これは「青鬼はいい人」と思う人が多いからこその出来事ではないでしょうか。

逆に、結婚詐欺師がカモに優しくすること…一般的に、人に優しくすることはいいこととされていると思いますが、結婚詐欺師はいいことをしている…とは言えないと思います。

これらを鑑みると、ひとつひとつの行動自体には良し悪しはなく、行動の目的によって、良い行動にもなるし、悪い行動にもなる、と言えそうです。

多分、法律は、いちいちその人の意図を確認して…なんてしているとキリがないので、「●●は悪い〈ということにしている〉」ものなのでしょう。過激発言かもしれませんが、犯罪者の全てが悪人というわけではないのでしょう…

道徳や一般常識も、
「いじめは絶対ダメ!」
「不倫は絶対ダメ!」
と、ひとつの行為を取り上げて、全ての良し悪しを決めがちで、それから外れた人を悪人だと叩きがちですが、悪人かどうかの答えは、その行為の中にはない。
裏を返すと、法律を守っていて、道徳や一般常識を遵守する人が善人という訳でもない、ということになります。

「何のために生きるのか」
娯楽溢れる今となっては、無意味な、堅苦しい問いのようですが、実は重要な問いなのかもしれません。もし、あなたが良い人になることを目的として生きていたら、あなたの行動は何であれ、良い行動となる。。一般に、「良い行動をしてるから、良い人」と思いがちですが、どうも逆のようです~