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精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

知ったかぶりで生きる

こんにちは。ナナコです。

「知ったかぶり」…あまりいいイメージはない言葉ですが、私たちは、ほとんど知ったかぶりで生きている、ということを書いてみようと思います。

 

映画を「これ、面白そう」とか「これ、つまらなさそう」とか、判断してから観に行くことについて。なんで観ていないのに、分かるんでしょうか。
好きな人と付き合ってみたら、ひどい人だった。
「こんな人だとは思わなかった!」
よくある話です。

無自覚で、知ったかぶり。。その時は本当に知ってる気がして、本当に知ってるのとあんまり区別がつきません。私たちはそれほど思い込みが激しい、と言えそうです。笑
間違った情報を知りたい、という人はほとんどいないと思います。いつだって、正しい情報を知りたい。知ったかぶりをするメリットは、あまりないような気がします。にも関わらず、なんで知ってる気がするんでしょうか。

知ったかぶりをしているとき、というのは、考えてみると意外と多いです。死が怖い人は多いと思いますが、そのわりに日常生活を行いながら、毎瞬毎瞬「死ぬかも」「大地震が起こるかも」「原発爆発するかも」と不安を感じながら暮らしている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。ということは、私たちは「死なない」「大地震は起こらない」「原発は爆発しない」と知ったかぶって生きている、ということです。実際には、次の瞬間ですら何が起こるかは絶対に分かりません。
東日本大震災では、過去の津波被害の記録が残っているにも関わらず被害を繰り返しましたし、福島第1の原発事故のニュースでは「想定外」という言葉をよく聞きました。記録という確実なものがあっても、どんなに危険な施設に対しても、「大丈夫だろう」と、知ったかぶりの方を優先する。これは結構すごいことではないでしょうか。
それから、「あの人は優しい人」等の人物批評とか…たとえ身内であっても、他人の全てを知ることはできません。他人の頭の中の独り言は、絶対に聞こえません。けれど、私たちはよく他人を「こういう人」と決めつけ、勝手に好きになったり嫌いになったりします。

未来や他人の本当の気持ちなど、決して知ることができないものを、知ったかぶる。
「決して知ることができない」
これが苦痛なのかもしれません。知ることができないのが苦痛で、無自覚でごまかしてしまうのかもしれません。

「私」は、自分が人生を選び、コントロールしていると信じています。

 

すでに愛の中にある―個人のすべてを失ったとき、すべてが現れる(覚醒ブックス)

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考えてみると、本当に「私」はおかしなところだらけです。。