精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

みんなもう死んでいる?

こんにちは。ナナコです。

今回は、ディズニーシーが熊本地震に配慮し、セレモニーを中止していたことについて
【ディズニー報知】TDS15周年セレモニー中止 熊本地震に配慮 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
をふまえて、人が死をどうとらえているかを考察してみようと思います。

 

被災者が大変な思いをしているのに、セレモニーなんてしてる場合じゃない」ということでしょうか。
でも、地震でなくても、ガンとの闘病などで大変な思いをしている人はたくさんいます。今回の地震が起こるまで普通に様々なイベントをしていたということは、そういう人たちの大変さはディズニーにとってはどうでもいい、ということでしょうか。

「多くの人が亡くなっているのに、セレモニーなんてしてる場合じゃない」ということでしょうか。
でも、地震でなくても、毎日何人もの人が亡くなっていますが、その方たちの死はディズニーにとってはどうでもいい、ということでしょうか。

人は必ず死ぬ。

みんな「そんなこと分かっている」と言うと思いますが、内心「人は死なない」と思っているんじゃないかと思います。
だってその日、そのセレモニーを楽しみにディズニーシーに来ていた人の中に、次の来園を待たずに亡くなる方がいるかもしれません。それを考えると、なんでもかんでも自粛というのは考え物でしょう。

死は基本的にはありえない。何かの間違いがないと起こらない。
確かに1年中お葬式に出ているという人は、斎場に勤めている方以外いないと思うので、なんとなくそんな気になってしまうのも分かる気がします。

でも「死は基本的にはありえない。何かの間違いがないと起こらない。」が嘘なことは、誰でも分かると思います。死は普遍的なことであり、誰にでも100%起こることです。

北斗の拳』で「お前はもう死んでいる」という有名なセリフがありますが、

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私たちは生まれた時点で既に北斗神拳を受けている、といえます。「ひでぶ!」と言うのが、1秒後なのか100年後なのか分からないけど。

私たちはもう死んでいる。笑
いや、笑い事ではなく。。