精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

公の私

こんにちは。ナナコです。

今回は、天皇陛下のお気持ちについての考察です。

<天皇陛下お気持ち>退位の意向、強くにじむ ビデオで思い (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

天皇陛下:お言葉全文「象徴としてのお務めについて」 - 毎日新聞

 

「私が個人として、」
「私の気持ち」
天皇」とご自身を分けて話されたことにびっくりしてしまいました。
あぁ、そうだった。この方人間だった。

考えてみると天皇とは「日本の象徴かつ日本国民統合の象徴」です。国歌とか国旗とかと位置付けとしては同じ。言い方悪いかもしれませんが、人というより物に近い位置付けです。それを体現しているのだから、あの方の人生は、一個人として生きることが当たり前な私たちには、きっと想像もつかない人生なのだろうなと思います。

人なのに象徴。

突然ですが、壊れて動かなくなった時計でも、私たちはあくまでも時計とみなすと思います。
だけど、それをハンマーで叩いて粉々にしたら?
粉々になった時計を見たとき、私たちはもはやそれを時計とは見ないのではないでしょうか。

注意してほしいのですが、粉々になっただけで、物質としては時計は無くなっていません。
では、時計はどこに消えたのでしょうか。どこにあったのでしょうか。
「時計」って何なんでしょうか。笑

あまり良くない例えでしたが、あの方は天皇であるけれども、天皇そのものではない。

天皇」はどこに?

お言葉を読む限り、多分、あの方は自分自身ではなく、公務を行うこと、行為そのものにそれを見いだしていたのでしょう。摂政を置きたがらないのはこういうことではないでしょうか。

象徴天皇今上天皇

「私が個人として、」
「私の気持ち」
と言いつつも、やっぱり個人を越えている方なのだなぁと。