精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

哲学の言い分

こんにちは。ナナコです。

自我を見抜く本」の記事で、スピリチュアル系の人たちは哲学をけちょんけちょんに言う、と書きましたが、そのことについて、哲学の言い分を見つけたので、そのご紹介です。

 

哲学はスピリチュアル界が主張していることを証明しようとしているんだから、タッグを組めるはずなのにね。
にしても、最後の一文…笑

この直接知が知っていることは、われわれの表象のうちにある無限なもの、永遠なもの、神が実際存在しているということ――意識のうちではこの表象に、直接かつ不可分に、その表象の存在の確実性が結びついているということである。

直接知のこのような命題を反駁するというようなことは、哲学には思いもよらぬことである。このような命題は哲学そのものの古い命題であり、哲学の一般的な内容の全体を表現しているとさえ言えるものであって、このような命題が、たとえ直接知というような非哲学的な仕方によってにせよ、或る程度時代の一般的な確信となったということにたいしては、哲学はむしろ自己を祝福することができよう。われわれにはむしろ、真実と考えられるものは精神のうちに内在しているとか、精神にとって真理は存在するというような命題が、かれらにはどうして哲学と相反すると考えられるのか不思議である。形式の点から言えば、神の思想には神の存在が、思想が最初に持っている主観性には客観性が、直接かつ不可分に結びついているという命題は特に興味がある。というのは、直接知の哲学は、その抽象性のために、神の思想に神の存在が結びついていると主張するにとどまらず、更に進んで、知覚においてさえ、私の肉体や外的事物の表象にはその存在が同様に不可分に結びついている、というようなことまで主張しているからである。――さて哲学が目指しているのは、こうした統一を証明すること、すなわち、思想あるいは主観性は、本質的に、存在あるいは客観性と不可分であることを示すことにある。とすれば、その証明がどんなものであるにせよ、哲学のこうした命題が意識の事実でもあり、したがって経験と一致するということが主張され示されているのは、哲学にとってとにかく非常に喜ばしいことと言わなければならない。――哲学と直接知との相違はただ次の点にある。それは直接知が排他的な態度をとること、言いかえれば、直接知が哲学に反対するということである。

 

小論理学 上 (岩波文庫 青 629-1)

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