その存在自体が矛盾 ―『方丈記』―
こんにちは。ナナコです。
今回は『方丈記』の有名な一節を使って、世界は無常と常という矛盾が同時に起こっていることについて書いてみようと思います。
原文:
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
現代語訳:
流れて行く川の流れは絶えることなく、それでいて(その水は刻々にうつって)同じもとの水ではない。
(川の)よどんだ所に浮かぶ水の泡は、一方では消え(たかと思うと)他方にできて、(ひとつの泡が)いつまでも同じ状態を保つという例はない。
同じもとの水ではなく、泡も同じ状態を保たないのに、じゃあなんで私たちはそれを1つの川と見るのか。
「昨日も今日もあそこは川だった。明日も川だろう。」
全然無常じゃない!笑
だから、そういうことなのです。
私たちの世界は、言葉によって形成されている。「川」は「川」。実は毎瞬毎瞬全然違うのに、でも、同じ「川」としてしか見れない。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
「諸行無常」。確かにそのとおりなんだけど、それだけじゃ片手落ち。
だって、当の『方丈記』が800年以上存在し続けていることについてどう考えたら。。笑