精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

精神障害は精神の障害なのか

こんにちは。ナナコです。

今回は自分というものを体と心で分けて考え、自閉症であり、作家である東田直樹さんに対するインタビュー

「壊れたロボット」のような身体と対峙しながら――二十歳の自閉症作家・東田直樹インタビュー|跳びはねる思考――22歳の自閉症作家が見た世界|東田直樹|cakes(ケイクス)

をもとに、いわゆる精神障害は精神の障害ではなくて身体障害ではないか、ということを書いてみようと思います。

自閉症精神障害じゃないとか、そもそも障害という言葉を嫌がる方も多いとは思うのですが、便宜上ご容赦願います。障害はいいとか悪いとかの価値観は付随させておらず、純粋な名詞以外の何物でもないことをご承知おきください。

 

 

東田さんを知らない状態で、道で東田さんに会ったら、私は怖くて避けてしまうと思います。というのも、行動の予測がつかないから。いきなりナイフを振り回してくる可能性とか考えてしまう。「あ、あの人、ヤバい人かもしれない…」

私たちは、自分の体を思い通りに動かすことができるから、挙動が変な人を見ると「わざとやっている」としか思えない。もしくは、「何も分からずやっている」とか。

インタビュー中にも、その行動からは想像できない、理知的で豊かな内面が垣間見られました。

この一言から「理知的で豊かな内面のない人が、異常行動をする」というのが前提としてあるのが見て取れます。

ところが。

—東田さんは、「ビッグイシュー日本版」で3年以上エッセイの連載を続けられていますよね。その中で、ご自身に何か変化は生まれましたか?

東田 最初は、自分のことをわかってもらいたくて書いていましたが、だんだんと僕の悩みは普通の人にも共感してもらえることだと気づいたので、特に自閉症ということにこだわりなく書けるようになりました。おわり。

心は健常者と変わらない。つまり、体の動きと心が一致していないだけであり、健常者と違うのは体の動きだけ、ということになります。

自閉症に限らず、なぜ統合失調症などで幻覚や幻聴等がある人が苦しむかと言えば、それが普通は見えたり聞こえたりするものではない、ということが分かっているからであったり、その幻覚や幻聴で認識されるものが、もし本当にリアルで起こったとしたら、誰もが苦しむことだからではないでしょうか。

となると、問題があるのは、異常なものが見えたり聞こえたりしてしまう視覚だったり聴覚だったりの身体機能であり、心ではなく、体の問題である、と言えます。

私たちは、体で起こっていることと心で起こっていることを、簡単に間違えます。怪我をして痛いのは自分だけ、つまり身体感覚は自分しか感じられないことなので、体に起こっていることの単なる認識も心に還元してしまう。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉を、学生のころにエアコンがない真夏の暑い教室で使われたりしましたが、この使い方はまさに体に起こっていることを心のこととして捉える混乱から出ていると言えるでしょう。

彼のブログの

東田直樹 オフィシャルブログ 自閉症の僕が跳びはねる理由 表情
東田直樹 オフィシャルブログ 自閉症の僕が跳びはねる理由 自己肯定感

は、自閉症だからとか関係なく、誰に対しても言える内容だと思います。