「でんでん存在」だったの?!- 驚きについて -
こんにちは。ナナコです。
今回は、安部首相が「云々」を「でんでん」と読んだことについて、哲学者の永井均さんが考えられた際に出てきた「でんでん現象」「でんでん存在」についての考察です。
・記事
→安倍晋三首相「云々」を「でんでん」と誤読? 参院代表質問答弁で
・永井さんのツイート
(埋め込み方がよくわからなくて、読みにくくてすみません。)
安倍首相が「云々」を「でんでん」と言ったことが話題になっているが、彼も「でんでん」などという言葉を聞いたことは一度もないはずで、「うんぬん」は何度も聞いたことがあるはずだ。なのに自分が「云々」を「でんでん」と読んでいるとこの明白な事実には気づかない。これは興味深い現象ではないか?
— 永井均 (@hitoshinagai1) 2017年1月26日
私はかなり大人になってから「疾病」を「しっぺい」と読むと知った。それまで「しつびょう」と読んでおり、人前で言ったこともあっただろう。「しつびょう」は耳で聞いたことがなく「しっぺい」は何度も聞いたはずなのに。あの「しっぺい」は漢字でどう書くのかなとは(なぜ)思わなかったのか?
— 永井均 (@hitoshinagai1) 2017年1月26日
安倍首相は「でんでん」という言葉が、私は「しつびょう」という言葉が客観的に存在しており、皆が使っているように思い込んでいたはずだ! 私はこの事実に深く心を打たれる。そして、これは読み方だから気づかれたのであって、同様の現象は意味については遙かに広範に存在しているに違いないと思う。
— 永井均 (@hitoshinagai1) 2017年1月26日
この意味で「…が客観的に存在しており、皆が使っているように思い込む」という現象は、言語以外の人間的諸現象一般にも、本質的に発覚しえないケースも含めて、実は広範に存在しているに違いないと思う。この現象を「でんでん現象」と呼び、そういう存在を「でんでん存在」と呼ぶことしよう。
— 永井均 (@hitoshinagai1) 2017年1月28日
名前がキャッチーすぎて頭から離れない…でんでんでんでん…笑
安部首相の「でんでん」は、単に原稿読んでて、何らかの理由で「云々」が読めず、勘で音読を重ねて読んでみただけじゃないかなぁと、私は思ってます。(音読でもないですが…)よくある漢字読みパターンで読んでみただけじゃないかと。なので、「…が客観的に存在しており、皆が使っているように思い込む」と逆の立場から出てきたもののように見えるのですが、それはさておき。
ツイートによると、永井さんは「疾病」を長いこと「しつびょう」と読んでいたそうです。
私はかなり大人になってから「疾病」を「しっぺい」と読むと知った。それまで「しつびょう」と読んでおり、人前で言ったこともあっただろう。「しつびょう」は耳で聞いたことがなく「しっぺい」は何度も聞いたはずなのに。あの「しっぺい」は漢字でどう書くのかなとは(なぜ)思わなかったのか?
推察ですが、「疾病」って日常会話じゃほとんど使わないです。日常会話だったら「病気」って言いますよね。「云々」「疾病」は文語的表現であり、黙読や一方的に聞いたり話したりで完結することが多い語と言えるでしょう。これが「でんでん現象」が起こってしまった一因なのでしょう。
永井さんは「しつびょう」という読みをしていたことについて
私は「しつびょう」という言葉が客観的に存在しており、皆が使っているように思い込んでいたはずだ!
と書かれていました。でも「疾病」の字を見て「しつびょう」という読みを初めてしたときは、それはあくまでも勘で読んだ読みであることを自覚していて、仮定扱いだったのではないかなぁと思うのです。読書で分からない漢字が出てきた時、そしてそれを調べるのがめんどくさかったとき(笑)、そうやってやり過ごしませんでしたか?
私たちは、意識的にも無意識的にも、たくさんの仮定を積み上げて生活している。そして、仮定でしかなかったものが、いつのまにか自分の中で正解に変わってしまっている。
仮定の正誤なんていちいち全部判断していられない。生活は待ってくれません。生活が問題なく進んでいけば、その仮定は正解だったとして意識に昇ってこなくなる。
でも、何かの拍子で、それがただ「正解だと思い込んでいただけ」でしかなかったことに気づかされる。そして驚く。
私たちが驚くときというのは、「でんでん存在」が消えてしまったときと言えるでしょう。自分が確実だと思っていることは、きっと思う以上に「でんでん存在」だらけ。この記事も「でんでん現象」かも。でんでんでんでん~