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精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

「でんでん存在」だったの?!- 驚きについて -

時事

こんにちは。ナナコです。

今回は、安部首相が「云々」を「でんでん」と読んだことについて、哲学者の永井均さんが考えられた際に出てきた「でんでん現象」「でんでん存在」についての考察です。

・記事
安倍晋三首相「云々」を「でんでん」と誤読? 参院代表質問答弁で

・永井さんのツイート
(埋め込み方がよくわからなくて、読みにくくてすみません。)

 

 

 

 

名前がキャッチーすぎて頭から離れない…でんでんでんでん…笑

 

安部首相の「でんでん」は、単に原稿読んでて、何らかの理由で「云々」が読めず、勘で音読を重ねて読んでみただけじゃないかなぁと、私は思ってます。(音読でもないですが…)よくある漢字読みパターンで読んでみただけじゃないかと。なので、「…が客観的に存在しており、皆が使っているように思い込む」と逆の立場から出てきたもののように見えるのですが、それはさておき。

ツイートによると、永井さんは「疾病」を長いこと「しつびょう」と読んでいたそうです。

私はかなり大人になってから「疾病」を「しっぺい」と読むと知った。それまで「しつびょう」と読んでおり、人前で言ったこともあっただろう。「しつびょう」は耳で聞いたことがなく「しっぺい」は何度も聞いたはずなのに。あの「しっぺい」は漢字でどう書くのかなとは(なぜ)思わなかったのか?

推察ですが、「疾病」って日常会話じゃほとんど使わないです。日常会話だったら「病気」って言いますよね。「云々」「疾病」は文語的表現であり、黙読や一方的に聞いたり話したりで完結することが多い語と言えるでしょう。これが「でんでん現象」が起こってしまった一因なのでしょう。

永井さんは「しつびょう」という読みをしていたことについて

私は「しつびょう」という言葉が客観的に存在しており、皆が使っているように思い込んでいたはずだ!

と書かれていました。でも「疾病」の字を見て「しつびょう」という読みを初めてしたときは、それはあくまでも勘で読んだ読みであることを自覚していて、仮定扱いだったのではないかなぁと思うのです。読書で分からない漢字が出てきた時、そしてそれを調べるのがめんどくさかったとき(笑)、そうやってやり過ごしませんでしたか?

私たちは、意識的にも無意識的にも、たくさんの仮定を積み上げて生活している。そして、仮定でしかなかったものが、いつのまにか自分の中で正解に変わってしまっている。
仮定の正誤なんていちいち全部判断していられない。生活は待ってくれません。生活が問題なく進んでいけば、その仮定は正解だったとして意識に昇ってこなくなる。
でも、何かの拍子で、それがただ「正解だと思い込んでいただけ」でしかなかったことに気づかされる。そして驚く。

私たちが驚くときというのは、「でんでん存在」が消えてしまったときと言えるでしょう。自分が確実だと思っていることは、きっと思う以上に「でんでん存在」だらけ。この記事も「でんでん現象」かも。でんでんでんでん~