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精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

人でなし

こんにちは。ナナコです。

今回は「倫理に殺される?」の続きです。

まずは、こちらの歌詞をごらんください。(歌詞の転載って、だめなんですね…)

「情熱の嵐」西條秀樹
「空と君のあいだに」中島みゆき

 

古い曲ですが、ベストヒット曲です。「あなたのためになら、何でもします!」って言われたら、嬉しいですよね。

一方、こちらもベストセラーではありますが。。

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

Matthew / マタイによる福音書 -10 : 聖書日本語 - 新約聖書

 

これは、今曲をつけて売っても、ミリオンセラーにはならないかと…仲たがいとか、普通に良くないですし。

ソクラテスの弁明』も、あんまり弁明っぽくないです。読書会でソクラテスについて、「なんでわざわざこういう(嫌な)言い方をするのか。」という意見を聞きました。

「人に不快な思いをさせるようなことをしない」というのは、マナーの基本です。「電車内での通話は控える」とか、これですよね?みんな、人のためにいろいろなことを我慢します。みんなで気持ちよく過ごすため、お互い様です。

ところが、一番マナーを守ってそうな彼らは、意外にもマナー違反をしている。笑
イエスはパリサイ人のことすごい罵るし、神殿内で暴れるし、ソクラテスはメレトスのことをケチョンケチョンに言うし。言い方ってもんがあるでしょ、みたいな。もっと穏便なやり方しなよ。波風立てて、何が楽しいの?裁判とかめんどくさくて、すごい迷惑なんですけど…

もちろんこんな単純なことだけで殺されたわけではないですが、コミュニティーから排除される理由がある。パリサイ人やメレトスに恩義がある人だって、いたでしょうし。私の知り合いに、嫌いな人を見ると体調を崩してしまう人がいます。快不快って、すごく根深いです。

上記で紹介した歌詞に、「あなたが笑ってくれるなら、わたしは悪にでもなる」的センテンスがあります。彼らはまず言わない言葉だと思います。(笑)でも、歌詞を文字通りとるのも野暮ですが、何が正しいのかとか真理がどうとかより、愛情とか思いやりとか、感覚的なものを大事にするのが、人として大事なことなのではないでしょうか。

崇高な理念のため、命がけで全力を尽くす…なかなかできることではありません。彼らの後世での評価の高さは、そこから来ているのでしょう。だけどこれ、テロリストだって同じです。

多分、彼らは普通のテロリストとは全然違った。命がけじゃなかった。
「崇高な理念にとりつかれて、全力を尽くしてたら、結果的に命がけになった。」
真逆。中身が人じゃなくて、理念だったんでしょうね。笑