精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

罪がある理由

こんにちは。ナナコです。

キリスト教がテーマの読書会に参加して、「罪に気づくために十戒がある」と聞いて、なるほどなぁと思い、つらつらと。

 

池田晶子の『死と生きる』に出てくる陸田真志氏は強盗殺人をしましたが、本を読んでソクラテスと出会って変わり、殺人の悪について考え、語るようになりました。

おかげでそれまで、公判で少しでも自分にとって有利な事を言うのは、それが事実であっても、「死刑を免れようという己れの弱さでは」と悩む事もなくなったし、逆に不利な事も死刑を恐れる事なく答弁できたし、裁判官にも、「死刑になってもならなくても、よく生き、死んでいく事、正しくある事が、私がこの先できる唯一の償いだ」と言う事ができました。そして、そのようにこの先、生きて死んでいける、その事に大きな喜びと価値を感じております。

極悪人と言われてもおかしくなかった人ですら、ここまで変わることができる。そして、その変化の大きなきっかけは、罪悪感の苦しみから逃れたくて、本を読んだことによるものです。

宇多田ヒカルの「Be My Last」に、

youtu.be

“間違った恋をしたけど
間違いではなかった”

という歌詞がありますが、陸田氏個人の人生としては

“間違った事(殺人)をしたけど
間違いではなかった”

といえるのかもしれません……一般心情的には、抵抗があることですが……