精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

言葉の役目の終わり

こんにちは。ナナコです。

考えが止まらなくて、またつらつらと独り言です。

 

善悪も正誤も最終的にはポインター
「何が悪か?」「正解は?」の答えは最終的にはどうでもよくて、ほんとに言いたいことは、その先。それがそれとしてある根拠的なもの。でも、そこが謎だから、全てが謎に変わる。

私の文章は、つぎのような仕掛けで説明をしている。私がここで書いていることを理解する人は、私の文章を通り――私の文章に乗り――私の文章を越えて上ってしまってから、最後に、私の文章がノンセンスであることに気づくのである。(いわば、ハシゴを上ってしまったら、そのハシゴを投げ捨てるにちがいない)

 

論理哲学論考 (光文社古典新訳文庫)

論理哲学論考 (光文社古典新訳文庫)

 

 

みんな、無意識で大切なものを大事に抱えて生きている。金だとか、愛だとか、家族だとか、道徳だとか、その他何でも。
哲学は、それだけじゃないけど、その大切なものの価値を根こそぎ剥奪する。「何もかもが同等になる」と言えば聞こえはいいけれど、人が心から大切にしているものを、心から大切にはできなくする。

「この道行くのに覚悟はよいか?」
池田晶子がよく書いてはいたけれど……