精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

虐待する人 -鬼の視点-

こんにちは。ナナコです。

今回は、幼児虐待経験者の方の心情が書かれた記事を見つけたので、そのご紹介です。

 

 

仁さん 


 こんにちは。昨日ふっと思ったことがあります。


 毎度同じこと言ってごめんなさいですが、

20年前に、夫にかまってもらえない寂しさから、
幼児虐待をしてしまい、

その後息子は
それでも私のことを「お母さん」と呼んでくれ、
もう自分としてはいつ死んでも悔いはないと思っていて、

でもダメ母、だめ妻はず~っと続いており、
このたび来年春の離婚が決まり、

その前提で今は生活しているものです。

 

 2~3か月前に、実家に帰った時
(まだ両親には離婚のことは伝えてありません。)、

たまたま、私が両親にこれまで
自分の息子と共に過ごしてきた20年間、

いかに自分が自己中で、
妻業も、母親業もやってこなかったかを伝える場面がありました。


 その時、うちの父親が私に
「そんなに自分を責めるな」と言ったんです。

仁さんの
ママのうたのような感じですね。


 その時はそういってくれてありがたいなと
ただ、静かに思い、それで普通に過ごしてきました。

 

 で、昨日ふっと思ったんです。

それはそっくりそのまま、父親に対しても言えることだし、
これまで自分がしてきた悪行の数々。
自分で自分を許せなかったり、

だから
人も絶対許せなくて、
自分が神様でもなんでもないのに、周りを裁きまくって…

 

幼児虐待に及んだ時は
自分で自分の初めて見る、自分の姿に驚きました。

こんな愚かな、短気で暴力的な自分が存在するんだと。
愕然としました。


 その後虐待は終わっても、
今度は車に乗ると、時に大荒れで、

前の車をチンピラのようにあおりまくります。
時に汚い言葉を大声で絶叫しながら、

ものすごい形相で
前の車のことを許さないと言わんばかりに、
自分の前から消えるまで追いかけまくります。

明らかにおかしいです。
めちゃくちゃな奴です。

毎回、車に乗る前に、落ち着いて乗ろう。
損してもいい。

と、言い聞かせるんですが、
だめなときはダメ。制御がきかなくなります。


仁さんのブログや芳乃さんのブログをみたりして、
だいぶ、考え方がかわりました。

自分で自分のことをクズ呼ばわり、
クズ扱いしていたのをやめにしました。

 

 で、私は非常に短気で、きれるし、
足が出るというか、壁とか蹴ってめちゃくちゃにしたい衝動に駆られます。

そして、それは私の父親にそっくりなんです。

 どうにもこうにも似ています。

 

 もともと、幼児虐待をしようと思ってしていたわけではありません。
むしゃくしゃして、車をあおるのですが、

本当はそんなことしたくない。
始まると止まらなくなってしまう。


 子供を産んで以降、
長年、自分は嫌なのにやり続けてきてしまったこの行為、

これって父に「自分を責めるな」の気持ちが出るように
やり続けてきてしまったのかな、とふと思ってしまいました。

 

 父は詳しくはわかりませんが、
自分の親、兄弟、そして私の母の親に対して、
父がやってきたことの罪をずっと、抱え続けていて、

その十字架をずっと背負っています。


頑固者の父なので、それを下すことは絶対にしません。
一生罪の意識をもって死ぬまで、背負っていく気でいます。

 そして短気で、怒り出すと、手が付けられなくなります。

 

 そんな父が言った

「そんなに自分を責めるな」。

それをそっくりそのまま、父に返したい。
そんな風に思います。

仁さんが歌で言ってくれたように、
「自分以外に自分を責める人はいないのだから…」だと思うから。


 おかしなもので、自分のことは棚に上げてしまうものですね。

自分のことに当てはめると、
そうだろうか、自分以外に自分を責めている人はいないの?
と思いますがけれど、

明らかにかたくなに、ものすごい罪の意識で凝り固まっている
父のことを思うと、

確かに、昔父のことを恨んだり、嫌だと思った人はいるだろうけれど、
そして、父が何かやらかしたことはとてつもないことだったのかもしれないけれど、

果たして今もそれを責め続けている人なんて
父以外に、どこにいるんだろう…そんなことをふと思いました。

どういうタイミングでどう伝えたらいいのかまだよくわかりませんが、
父に何とか話ができたらと思います。

 

■おまえはクズ人間なんだ!!! クズだ、ゴミ虫だ、誰かがいないと何もできない人間社会の底辺だ!! | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

 

幼児虐待だけではなく、いじめとか犯罪全般?の情報で、被害者の事情や気持ちはわりと詳しく出てくるけれど、加害者側は出てこないなぁとずっと思っていました。

ちなみに、過去ちらっと考察したもの。加害者は、基本罪悪感で表に出てこない。。
人間らしさをとるか動物らしさをとるか

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」
という有名な聖書の言葉がありますが、右の頬を打ってくるその人は、仕返しするまでもなく、既にダメージを受けて苦しんでいるから、ということなのかもしれません。その聖書の言葉の続き↓

5:40
あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

5:41
もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

5:42
求める者には与え、借りようとする者を断るな。

マタイによる福音書(口語訳) - Wikisource

右の頬を打ってくるその人は、「求める者」「借りようとする者」。。