精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

不合理ゆえにわれ信ず

こんにちは。ナナコです。

今回は、ツイートのご紹介と、感想的なものです。

 

 

「無駄を省こう。無駄なことをしている暇はない。それが、本質的なことを重視する、あるべきあり方だ。」
不合理的な旧習を見直そう。
最近の世の中は、合理的でないものを排除するよう動いているように思います。

お葬式は古くからの慣習が残りやすい行事ですが、それでも最近は、無宗教のお葬式が増えているようです。散骨とか、お葬式自体しないとかも。「形式は関係ない。気持ちが大事なんだ。」という話も聞きます。形式を重視するより、気持ちをこめることの方が合理的だと感じるから、そうなってきたのでしょう。(この場合は、合理的と言うより「道理にかなっている」と言うべきかもしれませんが。)

でも、それでも、不合理で古典的なパターンは、突然ふっと現れる。
自己犠牲の祈り。
弔いの花。
上記のツイートは、子どもの感性を素晴らしいと思っての呟きでしょうが、素晴らしいと思う中に、「なぜ、こんなことを?」という驚きも含まれているように思えます。