精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

気分の価値

親戚複数名の介護をし、事業も手がけ、遊びにもしょっちゅう出かけ…という方と、ちらっと話した。こちらまで元気になるような、すごく明るい人。
「なんでも気の持ちようよ~♪」
と、その人は明るく言う。周りの人は、
「なかなかそんなこと、出来るものではない」
と、彼女を褒める。

対して、私の親戚。介護者は1人だけだが、年数回、会いに行くと、泣きながら愚痴る。
「年をとってから、こんな辛い目に遭うとは思わなかった」

なんでも気の持ちよう……確かに。同じ出来事でも、苦になる人とならない人がいるのだから。

気の持ちようで、困難を明るく乗り越える。それはでも、褒められるべきことなのだろうか?私の親戚の気の持ちようは、変えた方がいいものなのだろうか?
辛いことがあるのは、当たり前だし、辛いことがあったときに辛い気分になることもまた、当たり前ではないか?

 

※念のため書いておくと、前者の方の態度は、対外的なポーズであるかもしれないとか、苦しむ時期もあったのかもしれないとか、様々なことを考慮した上での記事です。
気分に価値の高低はあるのだろうか??という疑問なのでした。