精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

平等という差別

こんにちは。ナナコです。

今回は、医大の合格率の男女不平等について、書いてみたいと思います。

東京医大 なぜ入試で『女性差別』」(時論公論) | 時論公論 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室

 

「『女性は結婚や出産で職場を離れることがあり、人手が足りなくなる』と、当校では考えているので、女性はあまり合格させたくありません。」
個人的には、これは一つの意見として、ありだと思います。これを募集要項にでも書いておけるような環境だったら、賛同しない人は受験してこないし、受験してくる人…特に女性の場合、「それでも、どうしても、東京医大で学びたい!」という、気概のある人なわけで、受験生にとっても大学にとっても、良い結果になるのではないでしょうか。

ただ、男女平等が叫ばれているこの環境では、それを表明することができない。「平等にするための制度を整えろ」と言われる。「『女性は結婚や出産で職場を離れることがあり、人手が足りなくなる』し、制度も変えたくないから、男性をとりたい」、という一つの考えが、弾圧されている、といえるでしょう。

もちろん、男女平等にしないことで、不都合が起こっていることも事実だけれど、個人的には、発言できないことがある方が、怖いなぁと思います。