精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

テロする気持ち

こんにちは。ナナコです。
今回はテロ行為について書いてみようと思います。

 

公的な戦争状態とそうでない状態という違いはあるかもしれないけど、日本も過去、国をあげての自爆テロとして特攻隊があり、国のために死ぬことが名誉とされていたときがありました。
「欲しがりません勝つまでは」
贅沢は敵だ
と、苦しい生活が良しとされ、反抗する人は「非国民!」と迫害されました。
バンザイクリフとか、多くの人が命より大事なものがあると教えられていたから、投降せずに崖から飛び降りたのでしょう。

ISISと過去の日本は、似ているところがある気がします。日本も大東亜共栄圏って、欧米の植民地支配からの脱却を理想と掲げて戦ってなかったかしら。自分たちだって過去似たことをしてきたのに、非難する権利はあるんでしょうか。。

「命より大事なものなんてない」と言うけれど、「生きているだけで素晴らしい」と言うけれど、理想のためなら命なんかどうだっていいっていう人はけっこういます。そして、そういう生き方を理想的だと感じる人も多いはず。
水木しげるさんの幸福論の「四条 好きの力を信じる。」がニュースで取り上げられてたし、例えば、好きなことに人生捧げてるから、貧乏だって、人から非難されたって笑われたってかまわない、という生き方、どうですか?これはこれで素晴らしい生き方に聞こえませんか??

もちろんその他様々な原因もあるけれど、こういう生き方の延長線上にあるのがテロ行為です。
理想を達成するためなら、残虐行為だろうがなんだろうが、手段は選ばず何だってしてみせる。理想のためには多少の犠牲はしょうがないんだから、「残虐だ!」「卑劣だ!」「犠牲になるのは、いつも罪のない民間人なんだ!」と責めたって、何のダメージにもならない。それに、理想のために死ねる人なんて、いくらでも集められる。過去の日本みたいに、教育すれば量産だってできる。大なり小なり、理想の追求という行為を素晴らしいと感じる感性は多くの人にあるのだから。。

テロを根絶したいなら、できるかどうかは別として、「理想を持たない」「好きの力を信じない」を徹底的に教育するのが一番てっとり早い、と思う。。理想なんて実体のない概念なんか捨てましょう。「好き嫌い」とか、実体のない概念なんか捨てましょう。生きているだけでいい。水と食料があればいいんだ。サルに戻ろう。あれ??