●●と思う
人は言う、神が在ると思うのは信仰であると。それなら全く同じ資格でこう言えるのだ、物質が在ると思うのも信仰であると。なぜなら、試みに自分の思考において、「物質」とそれを「物質と思う」こととの間に、明瞭な境界線を引いてみよ。これは不可能である。
「●●と思う」しかない。そして、その「●●と思う」、その思っている主体は認識できない。
「『私』とは何か」
この世は見えるものも見えないものも、謎の何かに思われたもの。
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→タオルは糸?