精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

真実は分からないという真実

こんにちは。ナナコです。

今回は面白い動画のご紹介です。

「僕たちは理論は作れるけど、真実は分からないんだよ。」
「運命っていうのは、自分のこと、自分がすることを分かっているんだ。」

「運命って何?」って、この子に聞いてみたいなぁ!

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櫛と骨

古事記景行天皇条全訳註 - 8.弟橘媛、倭建にかわって入水する

故、七日の後、其の后の御櫛[みくし]海邊に依りき。乃ち其の櫛を取りて、御陵[みはか]を作りて治め置きき。

(そして、七日後、そのお后の御櫛が海辺に流れ着いた。そこでその櫛を取って、御陵を作って納めた。)

どんなに絶望的な状況でも、遺体が出てくるまでは行方不明、というのを何かで見た。
7日間、倭建は海辺から離れられなかったんだろう。弟橘が生きているなんてありえない。そんなことは分かりきっている。でも、もしかしたら、もしかしたら…

「骨を見ると、すっと気持ちが落ち着くというかね…」
私の祖母が亡くなった時、焼きあがった骨を見て誰かがつぶやいた。
このシーンを読むとき、いつもそのときの感覚を思い出す。

私はどこにいるのか

お風呂に入るとき、意識もお風呂の中にあるのか。笑

私たちが見ているものは光。光の刺激で像が結ばれる。
でも、どこに結ばれる?頭の中?
外を見ているようで、結局頭の中を見ているのか?

何が、どこに生きてるんだろう?