精神と物質のあいだ

哲学系ブログ。あたりまえの中にあるあたりまえじゃなさについて書いています。

モヤモヤ

なんか何回も同じこと書いてる気もするのですが、このモヤモヤはなんなのか。。

明らかに生きているのは私ですが、でも、私は私の思い通りになりません。
「なんか面白いことないかな。」
とか
思っているのは私ですが、でも、私がそう思おうと思って思ったんじゃありません。
だから丁寧に書くとすれば
「『なんか面白いことないかな。』という考えが湧いた」
が近い。

「考えが湧いた」という言い方。
どこに湧いた?私に湧いた。
感じること、思うこと。
私に湧いたものであって、私ではない。
認識できるものは全部、私じゃない。
だいたい湧くとか何?何が湧かせているのか??
私の入る余地がどこにもない。
でも他の誰でもなく、私に考え等々が湧くんだから、私はやっぱりいるんだよなぁ。
「私」という言葉が指すものが違う…

いろいろ秩序があるように見える。いろいろ奇跡があるように見える。
でも肝心の「意味がある」ということ自体には意味がない…
もし本当の本当のことが分かっても人間の認識限定の可能性あり。でも人間以外の考え方なんてできないんだから、そこを追求しても意味がない…